ネヘミヤ記9章

9:1 その月の二十四日に、イスラエルの子らは集まって断食をし、粗布をまとって土をかぶった。

 仮庵の祭りが明けてすぐの二十四日にイスラルは集まりました。断食、粗布をまとう、土をかぶることを行いました。これは、悔い改めを行う時の行為です。

 断食は、肉の欲を捨てることを表しています。肉によって歩むのをやめて、神の前に自分を出します。

 粗布をまとうことは、自分を飾ることをやめることです。

 土をかぶることは、自分が塵灰に過ぎないことを表すためです。

 自分を主張することをやめて、神に従うことを表明するためです。

9:2 イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。

 彼らは、自分たちの罪と先祖の咎を告白しました。自分たちの罪は、異国の人々と関係を持っていたことであることがこの文から明らかです。先祖の咎は、異教の神々を礼拝した背信の罪に代表されます。彼らは、先祖に罪をもたらした異国の人々との関係を絶ったのです。

9:3 彼らはそれぞれ所定のところに立って、昼の四分の一は、彼らの神、主のみおしえの書を朗読し、次の四分の一は、彼らの神、主に告白をして礼拝した。

 彼らは、主の御教えの書を朗読しました。また、主に告白し、礼拝しました。彼らは、主との正常な状態に戻ろうとしたのです。そのために必要な手順について記されています。まず、主の言葉を聞き、受け入れることです。そして、主の前に罪を告白することです。そして、礼拝することです。礼拝することは、主の主権を認め、主に栄光を帰し、服従することを表しています。

9:4 ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレベヤ、バニ、ケナニはレビ人の台の上に立ち、彼らの神、主に向かって大声で叫んだ。

9:5 レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立ち上がって、あなたがたの神、主をほめたたえよ。とこしえからとこしえまで。あなたの栄光の御名はほむべきかな。すべての祝福と賛美の上に高く上げられて。

 彼らの言い表しは、まず、主の御名を言い表すことから始まっています。

 主の栄光の御名について言い表しました。主は、祝福をもたらし、栄光を現されます。その祝福に対して賛美が捧げられ、主の御名に栄光が着せられます。そのように御名が高く挙げられるのです。

9:6 ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。あなたはそのすべてを生かしておられます。天の万象はあなたを伏し拝んでいます。

 また、全てのものの創造主であること、そして、それを生かしておられること。天の万象は、主を伏し拝んでいることです。

9:7 あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。

 神である主は、支配者であり主権者である方であり、約束の履行者であることを表します。アブラハムを選んだことは、神の主権によることであり、人の何かによりません。

9:8 彼の心が御前に忠実であるのを見て、あなたは彼と契約を結び、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を彼の子孫に与えるとされました。そしてその約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。

 彼が忠実であるのを見て、カナンの地をその子孫に与えることは、契約の履行者のなさることです。それは、約束を果たすという神の正しさによります。

9:9 あなたはエジプトで私たちの先祖の苦難を見て、葦の海のほとりで、その叫びを聞かれました。

9:10 ファラオとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、数々のしるしと不思議を行われました。彼らが私たちの先祖に対して傲慢にふるまったのを、あなたがみこころに留められたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。

 エジプトに対する不思議を行われたのは、先祖の苦難をご覧になられたからです。また、エジプトが先祖に対して傲慢に振る舞ったからです。態度が横柄であるということではなく、神の民に対してふさわしく扱わなかったことです。神を認めない傲慢があったのです。また、彼らは、モーセの言葉を聞き入れませんでした。その彼らを裁き、イスラエルを連れ出されたことで、主の名が大いなるものとして現されたのです。

9:11 あなたは私たちの先祖の前で海を裂き、彼らは海の真ん中の乾いた地面を渡りました。追っ手は、奔流に呑み込まれる石のように、あなたが海の深みに投げ込まれました。

 神の民に対しては、海を裂き、乾いたところを渡らせるという奇跡で、イスラエルを救い、追っ手は海の深みに投げ込まれて、神の民に対する祝福と、傲慢な者に対する仕打ちを明確に現されました。両者に対する神の業によって、神の栄光が現されたのです。神の御名が知らしめられました。

9:12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。

 また、荒野の旅の道中、昼も夜も彼らを導いたのです。

9:13 あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことのみおしえ、良き掟と命令を彼らにお与えになりました。

 さらに主がイスラエルに与えた祝福が記されています。それは、良いものとして与えられたのです。しかし、イスラエルがそれをどのように受け止めたかを見るとき、イスラエルは、決して良いものとして受け入れていなかったことがわかります。

 それは、「正しい定め」と「まことの教え」と「良き掟と命令」です。それは、「良き」ものです。

 「良い」とは、神の目に適っていることです。人の観点からではありません。イスラエルは、人間的な観点から見ていたので、受け入れることができなかったのです。

9:14 あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令と掟とみおしえを彼らに命じられました。

 また、聖なる安息を教えられました。その安息は、聖なるものであり、神にある安息であり、一切、肉にはよらず、神中心の安息です。それは、御国に於いての経験の先取りです。

 命令と教えと掟は、そこに歩むことで、神の栄光となります。命の経験ができるのです。

9:15 彼らが飢えたときには、天からパンを与え、渇いたときには、岩から水を出し、彼らに与えると誓われたその地に入ってそこを所有するよう、彼らに命じられました。

 そして、パンと水で養われました。彼らには、カナンの相続地を示し、それを望みとして進むことができたのです。

 その歩みは、今日の私たちと同じで、真の食べ物であるイエス様を食べ、岩からの水としての聖霊を飲み、御国の相続を目指して歩む者です。

9:16 しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。

 しかし、彼らは、聞き従いませんでした。

 傲慢に振る舞ったことは、主の命令に聞き従わなかったこととして示されています。

9:17 彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。

 彼らは、聞き従うことを拒んだのです。聞き従う思いがなかったのです。彼らがそのようにできたのは、奇しい御業を思い出さなかったからです。彼らが思い出したならば、主の存在は疑いのないことです。主に逆らって何事かをすることなどできないことは明らかです。彼らは、うなじを強くしたのです。悪い方に向かうことを堅く決心したのです。彼らは、エジプトを目指しました。彼らは、エジプトが祝福に満ちた地であるかのように感じたのです。しかし、彼らがしようとしていたことは、奴隷の身に戻ることでした。肉に従ってこの世に戻ることは、奴隷の身に戻ることです。

 そのような彼らに対して、主は、赦し、弱い彼らを同情し、すぐには怒らず、恵み豊かなのです。すなわち、契約を忠誠をもって果たされるのです。

9:18 彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、『これが、あなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、

9:19 あなたは大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。

 彼らが鋳物の牛を神としたときも、彼らを見捨てず、雲と火の柱は、離れず、彼らを導きました。鋳物の牛を神としたことは、主に対する侮辱でした。しかし、主は、見捨てず、離れなかったのです。ともにおられたことは、雲と火の柱で明らかです。

9:20 あなたは、彼らを賢くしようと、ご自分の良き霊を与え、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには水を与えられました。

 神の霊は、通常御霊のことです。しかし、イスラエルに御霊が与えられた記事は記されていません。これは、比喩と考えられます。文の後半は、御霊による歩みと御霊による渇きの癒やしの比喩になっています。

 マナは、はじめは蜜の味でしたが、後には、油で潤った味がしました。それは、初め主を喜びとして味わいますが、後には、御霊によって歩むように霊的成長を遂げることを表しています。

 渇いた時に与えられた水は、御霊の比喩です。

 主は、霊的に養うことを目的とされたのです。彼らが実際の歩みを通して教えられるためです。

9:21 四十年の間、あなたは彼らを養われました。彼らは荒野で何も不足することなく、上着はすり切れず、足も腫れませんでした。

 主は、彼らの体も荒野で養われたのです。彼らは何一つ不足することなく、上着も擦り切れず、足も腫れなかったのです。

9:22 あなたは諸王国と諸民族を彼らに渡し、それらを領地として割り当てられました。彼らはシホンの地、ヘシュボンの王の地と、バシャンの王オグの地を所有しました。

 そして、戦いにおいて勝利を与え、彼らの領地を所有地とされました。これは、主の大きな恵みです。

9:23 あなたは彼らの子孫を空の星のように増やし、彼らの先祖たちに、『入って行って所有せよ』と言った地に、彼らを導き入れられました。

9:24 その子孫は入って行って、その地を所有しました。あなたは、この地の住民、カナン人を彼らの前に屈服させて、その手に渡し、王たちとその地の人々を、彼らの思いのままに扱わせました。

9:25 こうして、彼らは城壁のある町々と肥えた土地を攻め取り、あらゆる良い物に満ちた家、掘り井戸とぶどう畑、そしてオリーブと果樹を、豊かに手に入れました。彼らは食べて満腹し、肥え太って、あなたの大いなる恵みを楽しみました。

 彼らは、空の星のように増えました。そして、約束されたとおりに相続地に入リ、所有したのです。

 彼らの受け継いだものは、良いものでした。

一、城壁のある町々

 戦いにおける守りを表していて、主の守りがあることを表しています。

二、肥えた土地

 土地が肥えていることは、多くの収穫が期待できることを表しています。

三、あらゆる良い物に満ちた家

 家は、人の集まりの比喩ですが、良いものに満ちています。

四、掘り井戸

 これは、湧き水の井戸であり、聖霊の比喩です。水によって表される御言葉と関係していて、御言葉によって働く聖霊の比喩です。

五、ぶどう畑

 実を結ぶことを表していますが、それとともに、ぶどうはぶどう酒との関連で自分を捨てることを表しています。

六、オリーブ

 オリーブは、聖霊の比喩です。これは、灯火と関係していて、聖霊によって変えられて証しを立てることを表しています。

七、果樹

 実を結ぶことを表しています。

 彼らは、それを食べて満腹し、満たされたのです。主イエス様を味わい満たされたことの比喩です。肥え太ったことは、「脂ぎったものになる」という語で表され、聖霊に満たされたことの比喩です。そのようにして、主の大いなる恵みを味わったのです。

9:26 しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。

 多くの良いものを与えられたにもかかわらず、彼らは、「逆らい」、「反逆し」律法を投げ捨て、預言者を殺しました。それは、主に対する侮辱でした。

9:27 そこであなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって救う者たちを彼らに与え、敵の手から救われるようにしてくださいました。

9:28 しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。

 彼らの行いに対して、主は彼らを敵の手に渡し、苦しめました。彼らが主に呼び求めると主は彼らを救い出されました。しかし、彼らは再び悪を行い、主は彼らを敵の手に渡すのです。主は彼らの叫びを聞き、救い出されました。

9:29 あなたは彼らを戒めて、あなたの律法に立ち返らせようとされました。しかし、彼らは傲慢にふるまい、あなたの命令に聞き従わず、その命令を行う人は、それによって生きるというあなたの定めに背いて罪を犯し、肩を怒らして、うなじを固くし、聞き入れようとはしませんでした。

 主は、彼らを立ち返らせようとしました。律法に立ち返るように働かれたのです。彼らは、御言葉を捨てて、迷い出たのです。

 傲慢に振る舞ったことは、命令に聞き従わなかったこととして示されています。

9:30 それでも、あなたは何年も彼らを忍び、あなたの霊により、あなたの預言者たちを通して彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けませんでした。そのため、あなたは彼らを地のもろもろの民の手に渡されました。

 それでも、主は、その霊により、預言者たちを通して、彼らを戒められたのです。すぐに捨てることをせず、忍耐し、教えたのです。しかし、彼らは、耳を傾けませんでした。それで、彼らを諸国の民の手に渡されたのです。

9:31 しかし、あなたはその大いなるあわれみにより、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、お見捨てにもなりませんでした。あなたは、情け深くあわれみ深い神です。

9:32 私たちの神、大いなる神よ。力強く恐るべき方、契約と恵みを守られる方よ。今、アッシリアの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、高官たち、祭司、預言者、私たちの先祖、また、あなたの民全体に降りかかった困難をみな、どうか小さなことと見なさないでください。

 しかし、主は、なおも彼らに対して真実でした。大きなあわれみを示しました。この「あわれみ」は、同情という意味です。弱さを持つ者であることを認め、同情を示されるのです。

 その方は、力強く恐るべき方ですが、恵みを守られる方です。この恵みは、「契約を忠誠を持って果たされる恵み」です。「契約と恵みを守られる」と表現されていますが、この恵みの意味していることが契約を守ることと関連していることがわかります。

 そのうえで、主が与えた困難を小さなこととみなさないでくださいと願いました。それは、当時のイスラエルの困難からの救いを願うからです。先祖の罪のゆえに受けた当然の裁きなのです。懲らしめです。彼らは、もとの相続地に戻されたのですが、しかし、未だ困難の中にあるのです。

9:33 私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。あなたは真実を行われましたが、私たちは悪を行ったのです。

9:34 私たちの王、高官、祭司、先祖たちはあなたの律法を守らず、あなたがお与えになった命令と警告にも、耳を傾けませんでした。

9:35 彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。

 主が今まで行われてきたことは、正しいことであり真実でした。それに対して、自分たちが悪であることを言い表しました。

 先祖たちは、律法を守りませんでした。それは、契約の不履行であるのです。その命令と警告に耳を傾けませんでした。

 さらに、主は、大きな「恵み」を果たされました。この恵みは、契約忠誠による恵みで、主は、カナンの地を相続地として与えるという約束を果たしたのです。それは、広くて肥えた地です。このように良いものを受けたにも関わらず、彼らは、立ち返ることがなかったのです。

 主は、正しいのに、大きな祝福を受けた民が神の言葉に逆らったことが、悪なのです。ですから、今、現状からの回復を願いながら、それを直接的に言い表すことができないのです。 

9:36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です。私たちが実りと良い物を食べられるようにと、あなたが先祖に与えてくださった、この地で。ご覧ください。私たちは奴隷です。

9:37 私たちの罪のゆえに、この地の豊かな産物は、あなたが私たちの上に立てられた王たちのものとなっています。彼らは私たちのからだを支配し、家畜も彼らの思いのままです。私たちは大きな苦しみの中にいます。」

 ただ、自分たちが主から受けた祝福を享受することなく、奴隷の状態にあることを訴えました。産物も、家畜も支配者のものです。苦しみの中にあることを訴えました。

9:38 これらすべてのことのゆえに、私たちは文書をもって盟約を結んだ。そして、私たちの高官たち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。

 盟約の内容については次章に記されています。